2015年6月6日
根室市歴史と自然の資料館が開催する史跡見学会「根室の戦争遺跡を巡る」に参加しました
市民ら20名の方々が参加し、戦後70年たった今もなお残る飛行場施設跡やトーチカなどを、市の猪熊学芸員の案内のもと見学しました
「根室市内にはたくさんの歴史遺産があります。今回は戦後70年にちなみ、 根室市内に残る戦争遺跡を巡り、当時の様子について学習します。また、今見頃のサカイツツジ (国指定天然記念物)も一緒に見学し、根室の地域資源についてあわせて学習する機会とします。」 (根室市ホームページから引用)
当時、飛行場や掩体壕などの作業に携わったのは、2000人の朝鮮から連れてこられた労働者と1000人の日本の囚役者など、3000人以上と言われているそうです
劣悪な環境の元で作業に従事し、昭和18年のチフス発生では100名以上の方が亡くなるなど多くの被害がでました
これらのような戦争遺跡は資料がほとんど残っておらず、
近隣の農家の方々などが丹念に調査をおこなってまとめた同人誌集がだされています
市民の方々をはじめ、多くの方々が力をあわせてこうした遺跡を保存していく必要性について改めて考えさせられました
市民の方々をはじめ、多くの方々が力をあわせてこうした遺跡を保存していく必要性について改めて考えさせられました
道路脇の崩れた牧の内トーチカ跡 |
牧場の奥に見える掩体壕(えんたいごう)
飛行機などの格納庫と考えられてますが、
ほとんど使われた形跡がみられないそうです
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上の写真とは別な掩体壕 |
近隣に5~6基現存しているそうです
ここは離農跡地ですが、
いまでは酪農の資材置き場などに使われたりしているそうです
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牧の内飛行場(根室第2飛行場)の滑走路跡地
戦後、米軍の命令でズタズタに破壊されています
現在では魚網の干場などで有効活用されています
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滑走路の荒いコンクリに
当時?の労働者の足跡らしきくぼみがありました
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現在では魚網の干場などに有効活用されています
奥に見えるのは旧小学校跡地を利用したメガソーラー発電所
この地域もいろいろ開発がすすんでいます
遺跡の風化の問題もあり、
何らかの形で保存が必要ではないかという趣旨の説明を
学芸員さんはされてました
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友知海岸のトーチカ
戦局の悪化に伴い陸軍が本土上陸を覚悟して、
この根室半島を半要塞に見立てて、
このようなトーチカや塹壕などを設置して
防衛ラインを形成する構想があったそうです
現存するトーチカは市内に15基ほど確認されています
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根室市歴史と自然の資料館
昭和17年に大湊海軍通信隊根室分遣所として建設された
花咲港小学校→博物館相当施設として利用されてつづけ、
これほど保存状態の良い分遣所は全国的に珍しいそうです
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落石無線送信所 |
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