根室地区労働組合総連合(根労連)は、「2018春闘学習会」を根室商工会館で開催しました。
まず、最近の情勢を振り返る。
2017年7月、衆議院の憲法審査会によるヨーロッパ視察があった。
この視察結果はあまりに自民党に不利だったためなのか、ほとんど報道されなかった。
どういう内容かというと 、
・イタリア⇒政治的多数派だけに頼ると失敗する。2016年におこなった憲法改正の国民投票の結果、多数派だった与党が負けた。当時の首相が国民投票に負けたら辞任すると表明したために、首相への信任投票のような形になってしまった。
・イギリス⇒少なくとも国民の6割の指示が必要。EU離脱の国民投票について、きちんと国民の世論を把握していなかったために、負けた。
さらに、イギリスからは、今まで自衛隊が活動できてきたのなら改憲の必要はない、とも指摘された。
このように、あまり思わしくない結果だったためか、6月に行われた視察の結果が国会に報告されたのはだいぶ後のことだった。
視察の結果、そしてその後の参議院選挙や東京都議選挙もふくめ、国会で大多数を握っていても重要なのは「国民だ」ということを議員側は認識することになった
国民投票では、秘密保護法・戦争法・共謀罪のような強行採決はできない。
国会で議論すればするほど、国民の反対が増えたが、国会議員の大多数の数の力で押し切った。共謀罪では委員会の採決すらしなかった。
その結果、国民側はしばらく反対世論が続いた。したがって国民投票を控えて、慎重に進めていくと考えられる。
国会で発議されたあと、国民投票の実施までは60日~180日の告知期間がある。反対世論が大きい時は、最大限の期間をとり、テレビCMなどで憲法改正の世論を盛り上げる。逆に国会であまり揉めずに発議されれば、その勢いですぐに国民投票を実施することが考えられる。
しかし60日~180日の告知期間の間に反対世論を盛り上げることもできる。それどころか、今から反対運動を広げれば、国民投票までの期間が何日であろうとも慌てる必要はない。
そのために必要なのは署名だ。
あらかじめ反対世論が大きくなれば、そもそも発議する意欲すら起きないだろう。
だから国民投票や国会発議の前に国民世論を盛り上げることが、とても大事だ。
署名を持つ力が今、見直されている。どこで見直されているかといえば、改憲勢力側だ。
「美しい日本の憲法をつくる日本の会」の憲法改正に賛成をする署名が、神社で実施されていた。しかも名前と住所だけの署名でなく、電話番号までも要求している署名だ。
「紹介者」が「賛同者」5名を署名する。つまり、この署名を国民投票の選挙運動(電話掛け名簿)に活用するために準備している。
国民投票に「事前運動」の縛りは無い。やろうと思えば、今からでも電話ができる。先方にはそのための情報がたくさん揃っている。
署名の数は力だが、それと同時に「対話」で国民世論を広めることが大事だ。
そのときに大きな問題となるのが、北朝鮮の問題だ。
ところで、このなかに日本がアメリカに責められると考えている人がいるだろうか?
アメリカは強大な武力を持ちながら、なぜ日本人にとって脅威ではないのか。
柳澤氏(元内閣官房)によると、攻めてくるという「脅威」は2つのモノから成り立つ、という。それは「能力」と「意思」だ。アメリカのように抜群の能力があっても、攻めてくるという意思が無ければ、「脅威」となりえない。
アメリカよりはるかに弱い北朝鮮に、脅威を感じるのは「意思」があるから、と多くの日本人が考えているからだ。しかし、北朝鮮が「日本を攻撃する」とはじめて公言したのは、2015年、戦争法のあとだ。
したがって「意思」をゼロにすることが必要だ。
ヨーロッパは未だに領土紛争があるが、いまは戦争が起こっていない。お互いに攻撃しないことを「意思」を確認し合っているから、脅威を感じない。
北朝鮮の目的は、防衛白書2016年に明記されている。北朝鮮が核兵器・ミサイルの開発をするのは「体制保障のためである」と書いてある。北朝鮮にとっての核・ミサイルは(今の独裁政治の)体制保障が傷つけられないための抑止力。これは日米共通の認識。
それでは誰が北朝鮮に対して、「意思」を示しているのか。それはアメリカと日本と韓国だ。
「意思」も「能力」も持たない・示さない。それによって平和を確立するのが9条の考えだ。
・経済制裁を続ければ、北朝鮮はいつか暴走する。目的である「体制保障」を維持できないほどに経済制裁が進めば爆発する恐れがある。戦前の日本のように。
・軍事制裁はどうか。ソウルは北朝鮮から40㌔しか離れていない。北朝鮮にとっては韓国全てを攻撃する必要はなく、1000万人が暮らす中枢のソウルを破壊すればよい。韓国大統領が融和政策をすすめるのは戦争の危険性を感じているからだ。
自衛隊問題について。
「ありがとう自衛隊」というチラシがある。戦前の「兵隊さんよありがとう」という歌を思い起こす。この歌詞は「ありがとう」と感謝しているように見せて、戦争に行ってこい、傷ついてこい、死んだってかまわない、強要するような思い込ませる恐ろしい歌だと思う。ありがとう、と言いながら現時点でも私たちは自衛隊に無理を強いていないだろうか。南スーダンへのPKO派遣について、「平和新聞」の記事によると2016年の派遣時に自衛隊のいる建物のすぐ近くで戦闘行為があった。その結果、調査によるとPTSDのような症状を訴える隊員がいたが、第10次隊の隊長はインタビューに「精神面で婦長を訴えた隊員はいなかった」と答えている。隊長がこのような発言をすれば、隊員はこれに異を唱えることができない。
何もこの隊長が悪いということではない。自衛隊を現地に派遣し、無理を強いているのは我々日本国民だ。
また、このような隊長の発言を許したのは、私たち日本国民がきちんと現地の情報をつかんでいなかったからだ。
憲法を自衛隊に明記することについて
「後法は前法を破る」
これは自民党の高村副総裁も認めた。「後法は先法に優越するから9条2項があっても、自衛隊の合憲性に勝負があったことになる」と
戦争放棄の条文のあとに、戦争できるという条文を付け加えると、戦争ができることになる
集団的自衛権が憲法違反であることは多くの憲法学者などが認めている。しかし集団的自衛権が行使できる自衛隊を憲法に明記すると集団的自衛権は合憲となることが明確になる。
また安倍首相はそれに先立って1月に憲法9条2項を変えるとフルスペックの集団的自衛権ができると言い切っている。
高村副総裁と安倍首相の発言をあわせると、9条3項に自衛隊を明記することで、フルスペックの集団的自衛権ができることになってしまう。
人権保障の問題。
憲法にかかれた人権を制限できるのは憲法だけだが、仮に国防を憲法に明記すると国防を理由にした人権制限ができることになる。
三権分立の問題。
自衛隊の指示は内閣が行うが、その派遣をストップできる権限はその他の機関にはない。憲法上どこにも書かれていない。
安倍首相が「今までと変わらない」と発言をし、仮にその通りになったとしても、その後の首相の判断でどのように変わるか誰も保証できない。どのように解釈をしても戦争ができないような条文を作っておく必要がある。
改憲しても何も変わらないなどということはない。国民投票に850億円を費やして憲法を変えるのは、現状を変えたいからに他ならない。