北海道新聞社と根室市教育委員会が共催する市民講座「1792年日露出会いの地・根室」を視聴しました。
根室で勤められていた川上淳教授(札幌大学)と相原秀起記者(道新ぶんぶんクラブ事務局長)が、対談形式の講演をされました。
相原記者は漂流した大黒屋光太夫のロシアでの足跡を取材しており、講演では実際の現地の様子を写真や動画を交えながら報告。それに川上教授が解説を加えていました。
相原記者は漂流した大黒屋光太夫のロシアでの足跡を取材しており、講演では実際の現地の様子を写真や動画を交えながら報告。それに川上教授が解説を加えていました。
川上教授の解説によると、当時の江戸幕府は中国・朝鮮・オランダ以外の外国との貿易などは制限していたが、まだ法制度として日本は「鎖国」を定めていなかった。
通商を求めるロシア使節ラクスマンが来航したことで、幕府は江戸湾が無防備など対外政策の弱点を認識。あわてて鎖国が日本の国法であると「でっち上げて」応対したこと等を説明していました。
その後、1804年のレザノフの長崎来航のあたりで日本の「鎖国体制」が確立したそうです。
ラクスマン一行が根室に8か月間も滞在している間、日本側と様々な交流があったそうです。
日本初のスケートをしたり、日本人が作ったロシア語辞典なども紹介されていました。
このように、最初の日露交流は平和的に行われましたが、鎖国政策によって次第に武力衝突をするようになります。
こうした歴史は今後の日ロ関係を考える時に重要ではないかと相原記者はお話していました。
ときわ台公園に展示されている池田良二氏の作品。帆船エカテリーナ号の船首をモチーフにしているそうです。
川上教授は、もっと大きな説明表示等も必要ではないか、とお話されていました。
日本の開国による近代の幕開けはラクスマン来航から始まったと言えるそうです。
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